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春よ,来い(春望)
春よ恋,ですか?
それじゃ,小麦粉の品種の名前じゃないの。強力粉系のパン作りに適した品種。
まだまだ寒いですね。
今日学校の授業で,「春望」という漢詩をやりました。
あら,日本で一番有名な漢詩かもしれないわね。
春望って,春よ,来いってことですか?
いいえ,春の眺め,という意味よ。
書き下し文にしなきゃいけないんです。何かコツはありますか?
漢字をどう読むか,というのは連文を思い浮かべると結構役に立つわよ。
連文ってなんですか? 文が連なっているんですか?
この場合,文は文字の意味です。同じような意味の漢字を並べた熟語のことを言います。
ちょっと,六行目を書き下し文にしてみてください。
家書(かしょ)万金(ばんきん)に抵(あた)る
ですか?
今回はふりがなが降ってあるからいいのだけれど,もし振ってなかったら「抵る」を「あたる」と読めましたか?
いえいえ,全然無理です。
そういう時に,連文を思い浮かべるのよ。「抵当」という熟語があるでしょ。「当」という字は「あたる」と読むでしょ。だったら「抵」という字も「あたる」と読めるのよ。
はあ,なるほど。でもなぜそう読めるのですか?
漢字が日本に入ってきた時,中国語の発音である「音読み」と共に「訓読み」ができたのは知ってるわよね。訓読みは,漢字の意味と同じ意味の大和言葉を当てはめたものよね。現代で言えば,「a boy」を「しょうねん」と読むようなものよ。漢文というのは,無理矢理中国語の意味を日本語に読み替えて,語順が違うところは,返点などの訓点で語順を変えて,外国語のままそれを日本語に直せるようにしちゃったものなのよ。ある意味すごい発明よね。
だから,同じ意味の漢字を連ねた熟語,連文は本来同じように読めるはずなのよ。実際そう読んでいたはず。おそらく明治以降にこの漢字はこう読むとか,この読みにはこの漢字を当てる,とか決めちゃったんでしょう。
なるほどー。それでどう読むか,推定できるのか。
人の名前をどう読むかにも応用できますよ。
「法則」という連文を思い浮かべれば,「則」が「のり」と読めるのならば「法」も「のり」と読めます。
「憲法」という連文を思い浮かげれば,「法」が「のり」と読めるのならば「憲」も「のり」と読めます。
「法典」という連文を思い浮かげれば,「法」が「のり」と読めるのならば「典」も「のり」と読めます。
「規則」という連文を思い浮かげれば,「則」が「のり」と読めるのならば「規」も「のり」と読めます。
「規範」という連文を思い浮かげれば,「規」が「のり」と読めるのならば「範」も「のり」と読めます。
「のりこ」さんがいっぱいできましたね。
なるほどー。そういうわけかぁ。
キラキラネームには使えませんよ。当たり前だけど。
さて,一行目から書き下し文にしてくれる?
はい。
国(くに)破(やぶ)れて山河(さんが)在(あ)り
城(しろ),春(はる)にして草木(そうもく)深(ふか)し
ちょっとストップ。その部分の英語訳を見てみましょう。
The nation is shattered. Only the landscape remains. (shatter → 打ち砕く,粉々にする)
Spring in the city? Yes, unpruned trees and overgrown weeds. (unpruned → 刈り込まれていない)
書き下し文と比べてどうですか?
一行目はこんなものかな? 二行目は,・・・・・・あれっ? city? city なんてどっから出てきました?
詩本来の意味からすると英語訳の方が正しいのです。
中国語で城というと城市の意味です。中国では街は城壁に囲まれています。だから城という言葉は,城壁に囲まれた街全体を意味しているのです。であるならば,城を「まち」と読むか,でも流石にそれは無理がありすぎるので,まちを意味するとして「じょう」と読むべきではないか,という考え方もありえますよね。
えっ? 「しろ」じゃないんですか? なるほどー。じゃあ,確かに間違えないためには「じょう」と読んだ方がいいですね。
でもなんで教科書,「しろ」になってるんだろう。
「漢文」はなんの授業で習うのかな?
えっ? 国語です。国語では,現代文,古文,漢文を習います。
そうよね。中国語の授業じゃないわよね。国語よね。なぜ国語かというと,日本人は昔から漢文に親しんできました。だから日本人がどういうふうに漢文と親しんできたか,それを追体験するための勉強だから国語で習うのです。
日本人はこの詩を「荒れ果てた城=いわゆる荒城の月」のイメージで読んできました。だから,「しろ」と読んでいいのです。ま,もちろんいろんな考え方があるから,「じょう」と読むべきだ,と考える人もいるかもしれないし,間違いだとも言えません。
書き下し文にするだけでも,本当は色々考えなきゃいけないのよ。
そうかあ。国語の勉強ですものね。先生漢文もお得意なんですか?
いえいえ。というようなことを「二畳庵主人」先生が昔おっしゃってました。
なんだ,パクリですかぁ。
パクリじゃありません。ただの受け売りです。
ところで,「二畳庵主人」先生って誰ですか?
ポルノ漢文で有名な先生よ。
※ 中国哲学が御専門の立派な先生です。
春なのに(荒城の月)
ところで「荒城の月」といえば,スコーピオンズというハードロックのグループがコンサートで必ずやってたんだけど,ちょっと聞いてみて。
荒城の月をロックグループがやってるんですかぁ。面白いですね。どういうグループなんですか?
(西)ドイツ出身のハードロックグループです。1976 年,『狂熱の蠍団~ヴァージン・キラー - Virgin Killer - 』というアルバムがヒットしました。このアルバムの写真が非常に衝撃的で,もちろん現在では使えません。ハードなロックなんだけど,メロディラインが非常に綺麗で人気がありました。荒城の月は日本だけでなく海外でも演奏していたみたいですね。
ハードロック?
今は死語かしらね。ヘヴィメタルともいうんだけど,こっちは生き延びてるわね。私たちは同じように使っていたけど,80年代になるとヘヴィメタルに移ったわね。メガデスのギタリストだったマーティ•フリードマンは知ってるでしょ。
二つは違うと主張する人もいる。ハードロックは根がブルースで,ヘヴィメタは根がバロックなんですって。ま,私にはよくわからないわ。
ところで,動画だけど,最初にボーカルが歌って,次に観客が歌うでしょ。ボーカルと観客で一ヶ所メロディーが違っているのに気付いたかな?
あっ,気づきました。「花の宴」の「え」のところですよね。
そう。「荒城の月」って2種類あるのよ。ボーカルが歌っているのが,瀧廉太郎が書いたオリジナルのメロディ。観客が歌っているのが,瀧の死後,山田耕筰が編曲した改作。瀧のメロディでは「え」のところにシャープがついていて半音上がっています。山田耕筰はシャープを除いて半音下げています。
なんでわざわざ,半音下げたんでしょう?
1927 年に東京音楽学校の橋本国彦助教授が語ったことよると,瀧のメロディではジプシー音階になっていて,欧米人はハンガリー民謡を連想する。だから,欧米で演奏するのには山田耕筰のバージョンの方がいい,というのです。差別の問題かしらね。
山田耕筰といえば,日本語の抑揚にきちんと合わせてメロディを作ることで有名ですよね。
そうね。「この道」とかね。あれは札幌の北一条通だと言われてるわね。
でも,「赤とんぼ」はどう? 「夕焼け小焼けの」はいいけど,「赤とんぼ」の「あか」のところ,日本語の抑揚にあってなくない?
確かにそう言われてみればそうですねぇ。なんでだろう。
團伊玖磨が直接山田耕筰に尋ねたことがあったそうです。それによると明治期以前の江戸弁では「赤+とんぼ」というイントネーションだったから,と言われたそうです。
そうか,言葉の方が変わっちゃったんですね。
ところで,ユーミンの「ひこうき雲」って歌があるでしょ。基本的には日本語の抑揚に合わせてメロディが作られているんだけれど,ところどころ日本語のイントネーションに反しているところがあるのよ。でも逆にそれがアクセントとなって魅力となったりもするのよ。
白い坂道が空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが あの子を包む
誰も気づかず ただひとり
あの子は昇ってゆく
何もおそれない,そして舞い上がる
空に憧れて
空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲
太字にしたところが日本語のイントネーションに逆らっているところ。
なるほど。あえてイントネーションに逆らうのもテクニックなんですね。
というようなことを昔,團伊玖磨さんがおっしゃってました。
なんだ,またパクリですか。
パクリじゃありません。ただの受け売りです。