科学一般

量子力学の世界(観測問題を中心に)3

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ハイゼンベルクの不確定性原理

みどり

量子力学の世界(観測問題を中心に)2」よりつづき

さて,アインシュタインに賛同した大物物理学者の話をする前に,量子における不確定性関係について触れておきます。今まであえてあまり触れてきませんでした。

行列力学を完成させたハイゼンベルクは1927年,不確定性原理(Uncertainty principle)を発表します。

不確定性原理ですか。なんかカッコイイ。

あきな
みどり

 

ハイゼンベルク思考実験で,電子の位置を正確に決定しようとすれば観察する波長は短かくなる。波長が短くなればエネルギーが大きくなって電子の速度を大きく変えてしまい,運動量を正確に測定できなくなる。量子では位置と運動量を同時に正確に測ることができないトレードオフの関係にあると考えました。ハイゼンベルグの不等式は 

$$ \displaystyle \epsilon_q \eta_p \; \geqq \; \frac{h}{4\pi} $$

で表されます。\( \epsilon_q\) は測定する物体の位置の誤差を, \( \eta_p\)は位置を測定したことによって物体の運動量に生じる乱れ擾乱といいます)を,\( h \) はプランク定数を意味します。(プランク定数は「量子力学の世界(観測問題を中心に)1」で,既に出てきましたね)

ただこの説明だと,本当は正確な値があるのに,ヒトはそれを正確に知ることができない,というふうに思えてしまうわよね。ところが量子の場合は,量子が波の性質を持っている以上,物理量は不確定なのです。量子力学的な効果によって、原理的に存在する、確率的な物理量のゆらぎ量子ゆらぎ)が存在しているのです。それが量子力学の重要な基礎となっています。不確定性原理というよりは不確定性関係と呼んだ方がいいわね。

小学生の時に不確定性原理の解説本を読んで,この観察者効果量子ゆらぎゴチャゴチャになって説明されていて,その二つは別のものじゃん,って腹が立ったことを覚えてます。それ以来ずっと不確定性原理の説明に対して納得のいかないものがあったのよ。あの思考実験の話は頭を混乱させるだけだわ。

さて,この不等式に出てくるプランク定数が,\( 6.62607015 \times 10^{-34} \) と,極めて小さい値であることが,小さな量子の世界では起こる不思議なことが,私たちの生活している世界ではそのような量子論的効果がほとんど見られないことの原因となっています。ちなみに 2019 年 5 月に,このプランク定数は定義定数になったので,プランク定数は厳密にこの値になります。

小澤の不等式

なんか不確定性原理が破られたとか聞きましたが…

あきな
みどり

小澤の不等式の話ね。2003 年に数学者 小澤正直おざわ まさなお)が発表したハイゼンベルクの不等式に代わる式です。

話は 1980 年代前半に遡ります。当時重力波検出の限界に関する論争が起こっていました。その限界は,長年,ハイゼンベルク不確定性原理がもたらす「標準量子限界」で決まると信じられてきました。しかしノースウエスタン大学のユーエン(Horace Yuen)が,これを破る観測は可能だとの新説を出し,反対するカリフォルニア工科大学のケーブス(Carlton Caves)との間で議論になっていました。1986 年にユーエンの講演を聞いた小澤は,自分が考えていた誤差ゼロの測定がちょうど当てはまることに気がつきました。直ちにどのような測定をすればいいのかを計算して発表し,明確に標準量子限界を超える例を示し,論争を決着させました。1990 年代の終わり頃,長年付き合っていた女性と結婚し,やる気が出た小澤は,ハイゼンベルク不等式に代わる不等式を研究し始めました。風呂に入っている時にアイデアを思いつき,2003 年に「小澤の不等式」と呼ばれる不等式を発表したのです。それは次のような形をしています。

$$ \displaystyle \epsilon_q \eta_p + \sigma _q \eta_p + \sigma_p \epsilon_q \; \geqq \; \frac{h}{4\pi} $$

ハイゼンベルクの不等式と見比べてみてください。ハイゼンベルクの式に項が2つ加えられていますね。新たに 出てきた  \( \sigma _q  \), \( \sigma _p  \) というのは,それぞれ物体の位置運動量が,測定前にもともと持っていた量子ゆらぎです。量子ゆらぎは,もともと物体に備わっている性質で,測定とは関係なく決まります。(どうもハイゼンベルク自身観察者効果量子ゆらぎを混同していたっぽい)小澤の不等式では観察者効果量子ゆらぎを厳密に区別しています。この論文が雑誌に掲載されるまでには,随分と大変だったらしいです。査読者referee)としてもハイゼンベルクの式を覆すわけだから,そう簡単に通すわけにはいかなかったのでしょう。

ハイゼンベルクの式だと,片方の物理量を誤差ゼロで測定してしまうともう一つの物理量は無限大になってしまいます。しかし,小澤の不等式では,量子ゆらぎを大きく取れば誤差ゼロの測定が可能になるのです。量子もつれになった2つの粒子ならそういう測定が可能になります。

最初は胡散臭くみられていたようですが,小澤は,量子コンピュータの論理回路における誤り確率の推定に応用しました。その結果これまで見逃されていた誤差が存在すること,従来の設計では計算に重大な支障が起きること,そしてその問題を回避する方法を提案しました。2000 年代の後半には,量子情報の分野では,小澤の不等式を前提として議論がなされるようになったそうです。

私も長年のモヤモヤがようやくスッキリしました。

話を聞いて,なんか私もスッキリした気分になりました。

あきな

小澤の不等式の検証

みどり

2012 年,ウィーン工科大学の長谷川祐司らは中性子スピン測定を行い,ハイゼンベルクの式は必ずしも成立しないが,小澤の不等式は常に成立していることを示しました。

図1 測定1(左) 測定2(右)
図2 1がハイゼンベルク限界
みどり

彼らはまず中性子の \( x \) 成分スピンを測定し,続いて同じ粒子の \( y \) 成分スピンを測定しました。縦軸は,測定値が \( \displaystyle \frac{h}{4\pi} \) の何倍かを表しています。測定1で, \( x \) 成分の測定誤差が大きくなるにつれて,測定2の \( y \) 成分の乱れ(擾乱)が小さくなり,2つの値はトレードオフの関係になっています。注目すべきは誤差0付近です。ハイゼンベルクの式に従えば誤差が0に近ければ擾乱無限大に発散していくはずです。しかしながら実験結果では擾乱は1.5倍以内に収まっています。どの実験条件でも2つの値を掛け合わせた値は \( \displaystyle \frac{h}{4\pi} \) より小さく,ハイゼンベルクの式は成立していません(図2赤線)。ハイゼンベルクの式では1を常に超えていなければいけません。一方理論的に求めた量子ゆらぎ小澤の不等式に代入すると,全ての実験条件で不等式が成立していることがわかりました(どのような条件でも1を超えているー図2黄線)。

2013 年には東北大学が光子を用いた実験で,同様にハイゼンベルクの式は破れているが,小澤の不等式は常に成り立つことを示すなど,多くの実験で同様の結果が出ています。

また,2015 年に初めてLIGOというレーザー干渉計を用いて「重力波」が検出され,2017 年のノーベル物理学賞の対象となりました。レーザー干渉計を用いて重力波を測定するには,太陽と地球の距離における水素原子ほどの大きさの空間のゆらぎを検出しなければなりません。かつてはハイゼンベルクの式による標準量子限界のため,干渉計で重力波を検出することは不可能と言われていました。小澤の研究によって,その限界よりもっと誤差の少ない測定が可能だとわかり,90年代以降,日米欧における,LIGOを始めとするレーザー干渉計の建設が始まりました。(日本では神岡鉱山の地下にKAGRAを建設)そしてそれが,LIGOによる重力波検出につながったのです。

シュレーディンガーの猫

みどり

さて,コペンハーゲン学派と対立するアインシュタインの考えに賛成している大物物理学者がいました。何を隠そう,波動方程式シュレーディンガー方程式)を完成させたシュレーディンガー自身でした。標準解釈はおかしいと主張するために考えたのがあの「シュレーディンガーの猫」というパラドックスでした。

ウワッ,出たー。シュレ猫,出たー。

あきな
みどり

シュレ猫って。若い子はすぐなんでも略すんだから。ちなみに最近の調査によると「激おこプンプン丸」はもう完全に消滅して死語になっているらしいわよ。

さて,ミクロの世界では量子力学的効果によって,私たちの住んでいる大きさの世界では考えられないような不思議なことになっていて,それはプランク定数 \( h \) が極めて小さい数であることが原因である,という話をしました。

シュレーディンガーは次のような仕掛けを考えました。

まず箱の中に半減期が1時間であるような放射性物質を置きます。さらにもし崩壊すればセンサーでそれを検知して,毒ガスが出るようにして,を入れておきます。

標準解釈では,観察しなければ,1時間後,その粒子は崩壊している状態と崩壊していない状態の重ね合わせた状態になっているはずです。であるならば,猫は死んでいる状態と生きている状態が重ね合わせた状態になっているではないか,というのです。ミクロの世界の不確定な状態を我々の世界と結びつけてみせたわけです。これを別名「壊れかけのRadio」状態と呼ぶことにします。

ん?何ですか,その「壊れかけのRadio」状態って。

あきな
みどり

壊れかけのRadioってどういう状態かわかる? 壊れているのか,壊れていないのかどちらかだと思うんだけど。壊れかけのRadioとは壊れている状態と,壊れていない状態の,重ね合わせ状態にある,なんてね。ただの冗談よ。

何だ,ただの冗談ですか。

それにしても,私たちの生きている世界では,流石に猫が生きている状態と死んでいる状態が重ね合わさった状態にあるというのはいくらなんでもおかしいですね。

でも,量子力学的効果のある世界とない世界の境目ってどこにあるんですかね。

あきな
みどり

境目はないと思います。二重スリットの実験覚えてる? 光子電子干渉縞ができるという実験は紹介したわよね。アントン・ツァイリンガーAnton Zeilinger ) という物理学者は 1999 年に \( \ce{ C60} \) のフラーレンでも二重スリット実験干渉縞ができることを報告しています。フラーレンは知ってるわよね。

化学でやりました。炭素の同素体で「サッカーボール」型の分子ですよね。

あきな
フラーレン
みどり

フラーレン \( \ce{ C60} \) は結構大きい分子よね。今までは粒子1個だったけど,炭素原子 \( \ce{ ^{12}C} \) は陽子6個,中性子6個,電子6個からできているから,フラーレン \( \ce{ C60} \) は1000 個を超える粒子の集まりです。それでも干渉縞はできたわけです。

さらに,2019 年,生体分子でも量子干渉が起こっていることが報告されています。ウィーン大学のグループは,土壌細菌が産生する猛毒グラミシジン ( gramicidin ) の量子干渉を観測しました。グラミシジンは,アミノ酸 15 個からなるペプチドで,約2000個の原子からできています。(グラミジンイオノフォアと呼ばれ,イオン細胞膜を通過できるようにしてしまう分子です)

ちなみに,ツァイリンガーはいずれはウイルスによって干渉縞を生み出すことを目標としているそうです。

ウイルスですかぁ。だいぶ大きくなりますね。

あきな
みどり

さらに,2020 年,はじめて人間サイズの巨視的な物体に「量子的ゆらぎ」が観察されました。使われた機械は,なんとあの重力波を初めて観測したLIGOです。論文によれば,40キログラムの鏡200キロワットのレーザービームを照射することで、鏡全体を \( 10^{-20} \; \text{m} \) の幅量子的ゆらぎ状態にすることができたそうです。これは、小さな量子の世界でみられたゆらぎ現象が、私たちのような人間サイズの大きな物体にも、本質的に備わっていることを意味しています。

そうかぁ。私たちも本当はゆらいでいるのか。

で,アインシュタインシュレーディンガーコペンハーゲン学派との論争はどうなったのですか。

あきな
みどり

どちらの考えが正しいのか,実験する方法はないと思われました。それで論争は下火になりました。

シュレーディンガーは,すっかり物理学に嫌気がさし,なんと分子生物学に転向してしまいます。1944 年,彼は「生命とは何か 物理的にみた生細胞」という本を著しています。今でも岩波文庫で読むことができます。

それ以降はどちらが正しいのか,自分が信じる方を正しいと信じるしかなく,もはや哲学問題になってしまいました。ただ量子力学の方程式の威力は凄まじく,それによって 20 世紀科学技術は大きく進展しました。それで大学でも,そういう問題のことは考えずに,ただひたすら方程式だけ解いていればいい,という雰囲気になりました。量子力学の最も根本的なところはよくわからないまま,科学技術は進展していったのです。

1964 年,ベルがある不等式を導くまでは,ですけどね。

さて,次はいよいよ 2022 年のノーベル物理学賞の話に入ります。

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