光は波である ヤングの二重スリット実験
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前に(科学におけるOSINT 2(生物における磁気センサー))で,後で量子力学についてちょっとお話しするとお約束しました。人間原理について話す前段としてだけれど,準備していたら,今年のノーベル物理学賞を受賞してしまいました。実は今年は,生理学医学賞,物理学賞と,準備していたネタが二日続けて受賞が決まってしまったのです。
さて,あきなちゃん,まずヤングの実験について説明してみてください。
物理でやりました。ヤングは,1805年頃,光が波であることを示す事に成功しました。光を二重スリットに通します。もし波であれば,二つのスリットを通った二つの波は,波の高いところ同士では強めあい,高いところと低いところ同士では弱め合います。これを干渉といいます。干渉が起きればスクリーンには強めあったところと弱めあったところが縞になって現れます。これを干渉縞と言います。この干渉縞ができたことで,光は波であることが立証されました。
そうですね。それで結構です。
19世紀の終わり頃,黒体輻射の問題や,マイケルソン・モーリーの実験など,若干の問題は残っていたものの,物理の理論はほぼ完成したと考えられていました。しかし,20世紀に入って,それらの問題を解決するには,ミクロの世界では量子力学が,マクロの世界では相対性理論といった大革命が必要であることがわかっていくのです。
1900年,マックス・プランクは,黒体輻射の問題を解決するためには,光のエネルギーが \( h \nu \) というとびとびの値を持つと考えればよいことを見出しました。( \( h \) はプランク定数, \( \nu \) は光の周波数)
1905年,アインシュタインは,特殊相対性理論,光電効果の理論,ブラウン運動の理論に関する論文を発表します。前の二つは,それぞれ相対論,量子論の先駆けとなる論文です。アインシュタインは光電効果の理論でノーベル賞を受賞しています。ブラウン運動に関してはいずれお話しすることにします。この年は,一般に「アインシュタインの奇跡の年」,と呼ばれています。
はあ,1年でそんな大きな論文を次々と出しちゃったのですか? やはり天才ですね。
光は粒子でもある
アインシュタインは,光電効果の問題を,光を粒子であると考えれば解決できる事に気がつきました。光が波であることは既に証明されているので,光が波であり同時に粒子でもあるという二重性を持っていることになります。
あ〜,そこら辺からもう不思議です。
でも,光を粒子でもあると考えれば,プランクの光のエネルギーがとびとびの値を持つという理由が,この粒子性のためだと説明がつくのです。
粒子は波でもある? 物質波
ルイ・ド・ブロイは歴史学を専攻していましたが,兄の影響で物理学を学ぶことになりました。彼は,1924 年,波と思われていた光が粒子の性質を持つのなら,粒子が波の性質を持ってもおかしくないのではと考え,物質波と名付けました。その博士論文は,教授たちには評価できず,アインシュタインに評価を求めたところ,「その青年は博士号よりノーベル賞を受けるに値する」,と評価したそうです。
1927 年から 1928 年にかけて,日米英において,実際に,電子線が干渉現象を引き起こすことが発見されました。その結果,ド・ブロイは博士論文の発表からわずか5年後に,この物質波の研究でノーベル賞を受賞することになります。
この波と粒子の二重性を持つ不思議な存在,いわゆる量子を主役として発展させていった学問が量子力学ということになります。
じゃあ,電子や原子は粒子としての性質と波としての性質を持つということですか?
そういうことです。実際その後電子顕微鏡が開発されたでしょう。これは電子の波動性を利用したものですよね。電子による二重スリット実験は,技術的に難しく,ずっと思考実験で行われてきましたが,技術の進展によって,1961年にクラウス・イェンソンが初めて行い,その波動性を示しました。
技術の進展でそういう実験が可能になったのですね。
観測すると結果が変わる? 観測問題
さて,電子線を二重スリットに当てると干渉縞ができるわけですが,この電子線を絞って,1回に1個の電子だけを二重スリットに当てたとすると,どうなると思いますか?
えっ? 両側のスリットを波が通らないと干渉縞はできないわけだから,1個の電子しかないなら干渉縞はできないんじゃないですか?
野球のボールを二重スリットに当てたら,2本のスリットの後ろのスクリーンには2本のボール跡が残るでしょう。そういう結果になると思います。
当然そう思うわよね。ところがこれからが量子の不思議な世界なのよ。電子を1個ずつ当てても,何個も繰り返していくとやがて干渉縞ができてきます。これは電子が波として両方のスリットを通過したことを示しています。
えっ? だって1個の電子(粒子)ですよね。
じゃあ,スリットにどちらを通ったか調べる測定器を置いて調べたら,両方通るのが観察されるのですか?
測定器を置いて調べたら,片方のスリットだけを通ったことがわかります。両方同時に通ることはありません。そして後ろのスクリーンに現れていた干渉縞は消えてしまいます。
野球のボールを投げた時のように2本のスリットの後ろには2本の電子の跡が残っています。
ちょっと待ってください。観察していない時と観察した時とで,結果が異なってくるということですか?
そんなのおかしいです。
そこが量子の摩訶不思議な世界の入り口です。これを量子力学の観測問題と呼んでいます。
世界で最も美しい実験 外村彰の二重スリット実験
1回に1個の電子を打ち込む実験は,1974 年になってピエール・ジョルジョ・メルリらが行いました。
さらに 1989 年に,技術の進歩を反映した追試を日立製作所の外村彰らが行なっています。
外村は次々と新しい電子顕微鏡を開発し,またアハラノフ=ボーム効果が実際に存在することを実験で実証するなど,さまざまな成果をあげ,ノーベル賞候補に名前が挙げられていました。しかし残念ながら,2012 年膵臓がんで亡くなりました。
1個1個電子を打ち出して,それを多数重ねていくとだんだんと縞模様がはっきりしていくのがわかりますね。
この実験は Physics World という英国物理学会の会員誌の読者による投票で,「最も美しい実験」に選ばれたということです。
外村は,この電子の二次元検出機の開発を浜松ホトニクスに依頼しています。
浜松ホトニクスによる単一光子による二重スリット実験
実は,電子ではなく,単一光子による二重スリット実験は,浜松ホトニクスが 1981 年に成功しています。
下がその映像です。二重スリット実験は 6 分 40 秒くらいからです。その前は波や干渉縞についての解説,実験になっていますので,興味のある方は是非ご覧になってください。
浜松ホトニクスといえば,日本に2つのノーベル賞をもたらした,カミオカンデやスーパカミオカンデの検出器も担当してましたよね。
ニュートリノを検出したんでしたね。
あら,よく知ってるわねえ。元々カミオカンデは,ニュートリノの観察が目的というよりも,大統一理論を実証するため,陽子崩壊を検出することが第一の目的だったのですが,現在まで陽子崩壊は観察されていません。
実はCERN(欧州原子核研究機構)が「神の粒子」と言われたヒッグス粒子の検出をしたのも浜松ホトニクスの測定器です。この分野では世界でも圧倒的な技術力を誇っているのです。
後でお話しする,今年のノーベル物理学賞の実験のようなことが可能になったのも,浜松ホトニクスをはじめとする科学技術の進展によるものなのよ。
「量子力学の世界(観測問題を中心に)2」へと続く