ノーベル賞につながった大発見とは
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mRNAワクチン2(2023年度ノーベル生理学・医学賞,カタリン・カリコら)より
mRNAを体内に入れると免疫反応がおきて排除されてしまうという問題。
一体どうやって解決したのですか?
カリコらは,細胞の中に元々あるいろいろな種類の RNA を取り出して、改めて細胞に投与してみました。すると、タンパク質の材料となるアミノ酸を運ぶ「tRNA」を試してみたら、ついに炎症が起きなかったのです。カリコらは mRNA を tRNA に見せかけることができれば,免疫システムを騙せるのではないかと考えました。
ほほう。でも,tRNA は mRNA じゃないですよね。tRNA に見せかけるってどうやるんですか? 長さは全然違うし,塩基の種類は A,G,C,U だけで違いはないし。
修飾塩基とは
ところがそうじゃないんだなあ。次の tRNA の構造を見てください。
D-loop,Anticodon loop,TΨC loop という3つのループがありますね(variable loopは長さがものすごく変わる)。全体としてはクローバー状の構造をしています。Anticodon loopに赤い3つの塩基がありますね。これがアンチコドンで,mRNAのコドンと結合する部分です。
acceptor stemの3'端に CCA という配列がありますね。これは全てのtRNAに共通の配列で,3’末端にアミノ酸(この場合はPhe-tRNAなのでフェニルアラニン)が結合して,タンパク質合成工場であるリボソームまで運ばれていきます。
なんか A,G,C,U 以外に青い字で見たことのない文字が書かれてるんですけど?
まさかあれも塩基なのですか?
はい、それも塩基ですよ。転写された後に(もちろん転写直後は A,G,C,U だけですが)酵素によって修飾されて別の塩基に変えられるのです。これを修飾塩基と呼んでいます。
20種類の化学的多様性を持つアミノ酸からできているタンパク質と違って,RNA はA,G,C,U の4種類しか持っていません。半分酵素のような働きを持つ tRNA が機能するためには多くの修飾塩基を持つ必要があったのじゃないかしら。
そうかあ。RNAは A,G,C,U だけじゃなかったんだ。こんなに色々な種類の塩基があるなんてびっくり。
本当は修飾塩基の種類ってこんなものじゃないわよ。100を超える修飾塩基が見つかっています。
で,2005年,カリコらは mRNA のウリジンを全て \( \psi \) に置き換えたところ,免疫をすり抜け,効率的にタンパク質合成も行うことを見出したのです。
後に改良され,現在のワクチンには 1- methy-pseudo-uridine (N1mΨ) が用いられています。
シュードウリジン?
おおっ,ついにやったぁ。
でも \( \psi \) ってなんです?
シュードウリジン(pseudo uridine)と言います。先ほどのtRNAの図にも二カ所この塩基があるはずです。TΨC loop という名前になってるくらいだからtRNAには必須の塩基です。tRNAに詳しい方なら馴染みの塩基ですね。
というか生体内に存在する rRNA や mRNA,snRNA などでも見つかっていて第5の塩基ともいわれています。様々な病気やHIVの感染にも関連していると考えられています。
pseudoって何ですか?
偽物のとか,擬似の,という意味です。
シュードジーン(pseudo gene)という言葉もあります。一見本物の遺伝子そっくりなんだけど現在は使われていない遺伝子もどきのことを言います。遺伝子が重複して,その片方が使われなくなったものと考えられています。
ではシュードウリジンの構造を見てみましょう。
よく見るとウリジンの塩基そのものは変わらないんだけど,リボースについている位置が違ってるわよね。ウリジンは1の N についているのに,シュードウリジンは5の C についていますね。
ついている位置は違うのに,アデニンと水素結合する O,NH,O の並びは変わっていないわよね。つまり相補性の観点からは U も \( \psi \)も変わっていないのよ。
ホントだ。ついてる位置が違う。それで偽物のウリジンというわけか。
でも,ニセモノにも関わらず,ちゃんと tRNA のアンチコドンと水素結合できるんだ。別物なのに相補性は変わらないなんて,まさに pseudo ですね。
でもそれによって,何が変わってくるのかな。
化学的には塩基のスタックや構造安定化などいろいろ変わってきます。
シュードウリジンって,昔はプシュードウリジンとかプソイドウリジンとかともいわれていました。
生化学用語
プソイド? 何でまたそんな発音に?
生化学用語はドイツ風の読み方なのよ。アミノ酸の Leucine だってリューシンじゃなくてロイシンでしょ。ドイツ語読みは eu は オイ だからね。ロイシンはまだ古いから仕方ないけど,Interleukin なんて結構新しい言葉なのにインターロイキンというのはどうかと思うわ。
論文の反響は?
でもウリジンを \( \psi \) に変えたことで問題は解決されたわけですね。
論文出したら大反響だったんじゃないですか?
いいえ。論文は全く注目されませんでした。
しかし数年後,山中伸弥の iPS 細胞が注目され,世界中で iPS 細胞の研究が始まりました。その中でハーバード大学のグループがこの論文に注目し,この mRNA 技術を用いると,iPS細胞が非常に効率的に作れることを突き止めました。それで世界的に注目されるようになったのです。iPS細胞を作るとき,山中因子と言われる遺伝子を強制的に発現させる訳だけど,初期化がすんだらその遺伝子は消えてくれる方がいいわよね。遺伝子が残っていると何をしでかすかわからないし。特に最初は原がん遺伝子である \( c-myc \) を使っていたしね。mRNA を用いるというのはいいアイデアだと思いますよ。
また,2005年の論文の査読を担当した,TLR の審良静男は自ら作った細胞をカリンに提供し,2008年に,免疫回避のメカニズムに関する共同論文を書いています。
また,カリコは,昨年亡くなった古市のキャップ構造に関するハンガリーの共同研究者のお弟子さんにあたるそうです。(ちなみに古市は終戦時朝鮮で暮らしており,18ヶ月におよぶ逃避行で一家で日本に引き上げてきたそうです。カリコと古市はロシア兵の「ふるまい」について,大いに盛り上がったといいます)
いろいろと日本人も関わっているのですね。
この mRNA を作るにあたっては,開始コドン周辺をコザックルールに従って最適化したり,アミノ酸のコドンを最適化したりと,過去何十年にわたる人類の,さまざまな RNA 研究の成果が盛り込まれています。
精製もきっちりしなくてはいけません。特に作成中にできる2本鎖 RNA は生体内には存在しないので,強く免疫反応を誘導しまいます。そこで, HPLC カラムクロマトグラフィを用いてしっかりと取り除きます。
さあ,いよいよmRNAを体内にぶち込むわけですね。
そのまま注射してもダメですよ。すぐに mRNA は分解されてしまいます。そしてしっかり細胞に取り込まれるような仕掛け(ドラッグデリバリーシステム:DDS)が必要です。
脂質ナノ粒子(lipid nanoparticle:LNP)とは
ちょうど昨日 XBB.1.5 対応のワクチンを接種してきました。大した副反応はないけれど,接種箇所がちょっと腫れて痛いくらいかな。
接種の際に頂いたワクチンに関する説明書を見てみましょう。
基本的には,出来上がった mRNA を,細胞膜と似た様な成分である脂質の小さな粒子の中に閉じ込めます。
ファイザー社製のワクチンではラクストジナメラン,モデルナ社製ワクチンではアンデュソメランと書かれている物質が,有効成分であるスパイクタンパク質の全長 mRNA です。二つは全く同じものと考えてもらって構いません。
説明書に載っているワクチンの成分表でいうと,リン脂質成分である DSPC とコレステロールが,細胞膜類似成分にあたります。その中に mRNA を閉じ込めます。これらの成分は,粒子の構造的安定性を高めるとともに,細胞との親和性が高く、細胞と接触したら内包する薬剤(mRNA)を細胞内へ放出します。
また,ポリエチレングリコール(PEG-2000)などと書かれている物質は,生体適合性が高く、血中滞留性を増大させます。PEG は,化粧品などにも用いられているので,女性の方が男性よりワクチンの副反応が強い理由ではないかと考えられています。
なるほど,そうやって細胞内に送り込むのか。
でも,実はまだそれだけでは不十分なのです。
DNA や RNA はプラスに帯電していますか?それともマイナスに帯電していますか?
核酸は酸だから,水素イオン \( \ce{ H+ } \) を放出するので,核酸自体はマイナスに帯電しています。だから電気泳動する時は陽極に向かって流れていきます。
逆に塩基は,水素イオン \( \ce{ H+ } \) を受け取るので,プラスに帯電することになります。
そうよね。mRNA をナノ粒子に閉じ込めるときにマイナスに荷電していると反発しあってうまく閉じ込められないわよね。
ああ,そうか。DNA を染色体に圧縮するとき,強烈な塩基性タンパク質であるヒストンと結びついていないといけないのと同じですね。
その通りです。だからカチオン性(陽イオン性)脂質を加える必要があるのです。ファイザー社は ALC-0315 という物質を,モデルナ社は SM-102 という物質を使っています。
彼らは長年にわたって,最適のカチオン性脂質を探し求めてきたのです。彼らはカチオン性脂質に関して多くの特許をとっています。そういう長年の研究の成果があって,今回素早くワクチンを開発することが可能になったのです。
ちなみにワクチンの出始めの頃,−80℃で保管しなければいけないので,輸送をどうするかとか,随分問題になったのを覚えているかな? ファイザー社製のワクチンは−80℃で保管する必要がありますが,モデルナ社製のワクチンは−20℃で保管できます。そのあたりは用いられている LNP の成分による違いだと思われます。
mRNAワクチンの有用性
で,mRNA ワクチンの有用性はどうだったのですか?
非常に効果的でした。ワクチンの優位性の順に並べると,
mRNA ワクチン > DNA ウイルスワクチン > 組み換えタ ンパク・ワクチン > 不活化ウイルス・ワクチン
となります。DNAワクチンはmRNAワクチンの抗体価の数十分の1,組み換えタンパクワクチンはさらにその十分の1であることがわかりました。
mRNAワクチンは非常に有効だったのですね。なるほど,それでノーベル賞か。
DNAワクチンと比べてどこが良かったのでしょう。
DNAワクチンは,遺伝子治療にも使われているアデノウイルスベクターを用いています。
まず,DNAワクチンの場合染色体に取り込まれてしまう危険性があります。RNAワクチンはその心配がありません。また,DNAワクチンは核内に移行する必要がありますが,RNAワクチンは細胞質に取り込まれればOKです。 DNAワクチンは打つたびに免疫系による排除が進み,効果が下がるようです。ロシアのDNAワクチン(スプートニク)は1回目と2回目でアデノウイルスの種類を変えるとか工夫していたようでしたが,あまり効果的なワクチンではなかったようですね。
今回のパンデミックのように何回も打つことを考えるとmRNAワクチンの優位性は歴然としていました。というか,DNAワクチンは何回も使えないかもしれないですね。
そうかあ。じゃあ新型コロナウイルスワクチン以外にも応用できそうですか?
新型コロナの前からジカウイルスやサイトメガロウイルス,インフルエンザウイルスに対するmRNAワクチンの研究が進み,高い効果が観察されていました。抗体を産生させるだけではなく,細胞性免疫,すなわちキラーT細胞も強く活性化されているようです。当然コロナ以外のウイルスワクチンにも応用されるでしょう。
現在のインフルエンザウイルスワクチンなどは作製に時間がかかります。今年の冬にどの型が流行るのかはある意味賭けになってしまいます。mRNAワクチンだと素早く対応できるようになるかもしれません。
感染症に対するワクチンばかりでなくがん治療に用いるがんワクチンの研究,治験も進んでいます。腫瘍に特異的な抗原を攻撃させるのです。黒色腫、非小細胞肺癌、そして前立腺癌などではすでに良好な治験結果が得られているようです。
そうかあ。今後が楽しみですね。