哺乳類は地磁気を感じることができるのか
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2008 年に PNAS(米国科学アカデミー紀要)にのった論文です。Google Earth から衛星写真をダウンロードして,世界中の 308ヶ所の牧場で放牧された牛 8510 頭の体の向きを調べたところ,南北方向にほとんど向いていた,というのです。またチェコ国内の241か所でシカ 2974 頭の向きをしらべた結果も同様で,頭を北に向けている方が多かった,ということです。この時,太陽の位置や風の向きとは無関係であることを確認した,としています。そしてその方向は地軸の南北ではなく,地磁気の南北だというのです。地磁気の北極は真の北極より少しずれてカナダ北部にあります。特に高緯度においてはこの2つはかなり離れていますが,高緯度で地磁気の北極に向かっていたとしています。さらに,高圧線の下にいるウシは南北に整列せず,バラバラになっているというのです。著者らはこれらのことから,大型哺乳類も地磁気を感じることができると結論づけました。
私が地磁気を感じたと思ったことはありませんが。ウシやシカなら感じられるのでしょうか。
渡り鳥が渡る方向を決めるのに,太陽や星の位置,地磁気などがあると生物で習いました。
既に渡り鳥や回遊魚,ある種のモグラやコウモリ,イモリやカメ,ハチなどが地球の磁場を感知しているとは以前から知られています。
地磁気を感じるメカニズム
一体どんな仕組みで地磁気を感じているのですか?
まあ,そこは盛んに研究されている最中で,断定的には言えないんだけれど,まず1つは 1970 年代の磁性細菌の研究から,酸化鉄(磁鉄鉱:マグネタイト(magnetite)がセンサーとして働いているという研究があります。
また,ニジマスは鼻に磁鉄鉱の磁気センサーを持っていて、それを使って地磁気を感じ、自分の向きを察知しているという報告があります。
磁鉄鉱ですか。なるほど。
確かに磁鉄鉱はヒトも含めて広く存在することがわかっています。磁鉄鉱が一つのセンサーとして働いている可能性が考えられています。
もう一つ注目されている非常に有力な説が,現在盛んに研究されている,網膜に存在するクリプトクロムが磁気センサーだという説です。
クリプトクロム? あの植物で青色光受容体となっているアレですか?
そうです。アレです。
クリプトクロムはもともとは細菌が,光をエネルギー源としてDNA修復を行う酵素であるフォトリアーゼが進化したものと考えられています。実は植物にも動物にも広く存在しているのです。
植物においては,赤色光を感じるフィトクロムと,青色光を感じるクリプトクロムの,二重のシステムで光-明るさを検知していると考えられています。
まず,光を感じると,伸長成長(縦に伸びること)を抑制します。光が当たるということは邪魔がないということなので,縦に伸びるよりも横に伸びたほうがいいということです。逆に光が当たらない,もしくは葉を通って遠赤外光になっていれば,邪魔があるということなので,上に伸びようとします(避陰応答)。だから光を当てずに育てるもやしはひょろっとしてますよね。
あと花芽形成(花をつけること)にも重要な役割を果たしています。
動物もクリプトクロムを持っているとは知りませんでした。動物では何をしているのですか?
主に概日リズム( サーカディアン・リズム:circadian rhythm ) に関わっていると考えられています。概日リズムとは「ほぼ一日リズム」という意味です(circa はラテン語でおよそを意味します)。菌類や藻類まで含めて,生物の体の中では一日の周期を刻む体内時計が存在していますが,それを明るさに合わせて修正する働きがあります。概日リズムには 2017 年のノーベル生理学・医学賞が与えられました。どうやって体内リズムをつくるのかとか,そういう話はまたいずれしますね。
で,クリプトクロムが磁気センサーとして働いているのですか?
現在はそう考えられています。
クリプトクロムは青色センサーとして,フラビンアデニンジヌクレオチド (FAD)を持っています。FADが青色光励起されると近くの3つのトリプトファンから順次電子を引き抜く反応が起き,量子もつれを起こした磁性を持つラジカル対ができます。そこに磁場がかかるとゼーマン効果などの影響で化学反応性に違いが生じます。そうやってクリプトクロムで地磁気を感知しているのではないかというのが有力な仮説です。量子論で生物現象を証明するというのはちょっと科学者魂を揺さぶられるものがありますね。多くの科学者が惹かれているらしく,最近ずいぶん論文が出ているようです。
先生。何を言ってるんだか全然わかりません。量子もつれってなんですか?
今はちょっと解説する余裕はないわね。いずれ人間原理について話そうと思ってるんだけど,その前に軽く量子力学について説明しようと思ってるから,それまで待っててね。
今年(2022)5月にも量子科学技術研究開発機構から論文が出てるわね。クリプトクロムが磁気を感じると言っても,バラバラの方向を向いていたら方向は測れない。磁性の強い鉄硫黄クラスタータンパク質(ISCA1)が柱状にクラスターとなってクリプトクロムと結合して方向を揃えるということらしいわ。磁気の強い高緯度だとクラスターが長くなるらしい。
鳥が磁気を感じて,視界の中でどういうふうに見えているか,イリノイ大学のチームの想像図が下図です。あくまで想像だからね。
こういうのが画像の上にかぶさっているとか,なんか最近の戦闘機のヘッドマウントディスプレイ(HMD)みたいですね。
あのねえ。自分に課されている役割というのを考えなさいよ。
ヒトは磁気を感じられるか
ところで,いろいろな生物で磁気を感じているみたいだし,大型哺乳類も感じているのかもしれないということですよね。でもやはり人間は感じられないのでしょうか。
ヒトも網膜にクリプトクロムを持ってるけど,ヒトでは脳への回路が遮断されてしまって感じることができないのではないかと考えられてきました。
ただ,最近になってヒトも磁気を感じられるのではないかという論文が発表されています。2019 年,東大とカリフォルニア工科大学のチームが,ヒトも磁気を感じられると報告しています。
研究チームは,日米など18~68歳の男女34人に対し,地磁気を遮断した室内で、地磁気と同程度の強さの磁気を変化させて,頭表 64 個所で脳波を計測する実験を行いました。実験中、ヒトは暗闇の中、ただ目を閉じて座っているだけで、実際に何かを感じることはありませんでした。しかし、特定方向の磁気変化に対しては、アルファ波の事象関連脱同期が観察されました。
アルファ波とは、特に何もしていないアイドリング状態で強く観察される 8-13Hzの脳波のことです。
事象関連脱同期とは、アイドリング状態に外部刺激が入ってきたときアルファ波の強度が低下する現象のことです。
事象関連脱同期は視覚・聴覚などさまざまな刺激に対し発生することが知られています。
この実験結果から,彼らは,ヒトは地磁気強度の磁気刺激に対し、潜在意識下で生理的に応答したと結論づけています。
動物の磁気センシングのメカニズムに関しては、N/S 極を区別できるマグネタイト仮説、電磁誘導仮説、N/S 極を区別できない量子コンパス仮説などがあります。今回の実験では,N 極と S 極を入れ替えるとこの反応が起こらなかったことから,本実験結果はマグネタイト仮説を支持している,としています。
えっ? 我々も五感に加えて第六感を持つかもしれないわけですか? もしかして人の気配とかも磁気で感じられたりして。それは楽しみですね。
ここ数十年,地磁気が非常に弱くなっていて,ポールシフト(地磁気逆転:geomagnetic reversal)が起こるかもしれないと話題になっていますね。人類にも多大な影響を与えそうですが,ポールシフトすると鳥の渡りがどうなるのか興味深いですね。
さて,渡り鳥を,アメリカの西海岸で捕らえて,東海岸で放つ実験が行われました。そうすると今年生まれたひなは目的地に辿り着けませんでしたが,二年以上の渡りを経験した鳥たちは,問題なく目的地に辿り着けました。このことは最初の渡りの時に,脳内にマップのような物を作ったからだと考えられます。では,次に脳内マップについて考えてみましょう。