ライオニゼーションとは
生物の色覚の進化 2 または ダウン症候群とはなにか より
さて,ダウン症などのトリソミーはもう理解しましたね(ダウン症候群とはなにか)。遺伝子の発現量が 1.5 倍になるだけで細胞にとってはとんでもないことになるわけです。
さて,ライオニゼーションの話の前に,なぜダウン症の話をしたかわかった?
X 染色体は表を見ればわかるけど,かなり長いし遺伝子の数も多い染色体なのよ。
その染色体が男と女で遺伝子の発現量が2倍違っていたらもうとんでもないことになるわけ。
某出生前診断の組織のHPでは,ライオニゼーションがなければ男女の違いはもっと大きかったかもしれないと書かれています。あきなちゃんはもう,それどころではないことになるということが理解できるでしょう。
はい。男性の発現量が適量だったら女性は生まれてきませんね。逆に女性の発現量が適量だったら男性は生まれてこないことになりますね。
で,そのライオニゼーションとかいうメカニズムで発現量を調節しているわけですね?
なんでライオンが関係してくるんですか?
動物のライオンじゃないわよ。X染色体の不活性化を発見したイギリスの女性遺伝学者,メアリー・フランシス・ライオン( Mary F. Lyon )から取られてるのよ。
発見したのは女性の方だったんですね。で,一体どういう仕組みなんですか?
まず,受精して卵割が始まりますね。実は最初は父方由来の X 染色体は不活性化され,母方由来の X染色体だけが発現しています。卵割が始まってしばらくすると,胚盤胞という状態になります。
栄養膜(trophoblast)の部分が胎盤や羊膜など胚外組織になり,内部細胞塊(inner cell mass)が赤ちゃんの体になります。
わたしたちの体って内部細胞塊から出来てるんですか。知りませんでした。
ちなみに内部細胞塊のように体の全ての細胞に分化できる能力のことを「多能性( pluripotent )」といいます。有名な iPS細胞は人工多能性幹細胞( induced Pluripotent Stem cells )のことです。幹細胞とはいろいろな細胞に分化できる大本の細胞のことです。太い幹からだんだん細く枝分かれしていくでしょ。
更に胎盤などの胚外組織にまで分化できる能力のことを「全能性( totipotent )」といいます。有名な STAP細胞( Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency cells )は胎盤にもなれると言っていたので,なんで STAT細胞( Stimulus-Triggered Acquisition of Totipotency cells )じゃないのだろう,と疑問に思っていました。JAK-STAT経路と紛らわしいからなのかな,とか考えていたのよ。
STAP細胞の話を聞いた時どう思われましたか?
まず,最初の印象は,「どこか間違っているんじゃないかなあ」ということでした。山中伸弥と同時にノーベル賞を受賞したジョン・ガードンが 1962 年にカエルのクローン作成に成功して以来,世界中の細胞生物学者が哺乳類のクローン作成を目指しました。しかし長いことうまくいきませんでした。それは哺乳類の細胞を初期化することが難しかったからです。もし STAP細胞のように簡単に初期化ができるのなら,半世紀もの間,世界中の細胞生物学者は一体何をやってきたんだということになってしまいます。それで一部の細胞生物学者は「細胞生物学に対する冒涜だ」と言ったのでしょう。
なるほど。そういうことだったんですか。
話をもとに戻すと,この内部細胞塊では父方 X染色体の不活性化がキャンセルされて,あらためて父方由来,母方由来の X染色体がランダムに不活性化されます。成長すると女性の体の中では,父方由来の X染色体が発現している細胞と母方由来の X染色体が発現している細胞が,マダラ状,モザイク状に広がっているのです。
私の体の中ではそんな風になっていたんですか。知らなかった。でも,最初母方由来の X染色体だけが発現しているのなら,既に発現量は調節されているのだから,別にそのままでもいいのではないですか?
そうねえ。性染色体上にコードされている遺伝子の発現量をオスとメスの間で調節して同じ量にすることを「遺伝子量補償」と呼んでいますが,そのやり方は生物によって違うのです。実は有袋類ではメスの X染色体だけが発現しています。ショウジョウバエではオスの X染色体の発現量が2倍になります。線虫では2本の X染色体の両方の発現量を半分にして調節しています。
ヒトの卵割の初期において,女性由来の X染色体のみ発現しているというのは,有袋類と分かれる前の,昔の名残なのか,あるいは母体と接するところは母体由来だけを発現させるほうがいいからなのか。どちらでしょうね。
ただ,父,母,両方の X染色体を発現させるほうが有利なのは,赤緑色覚異常が,男性に比べて女性の頻度がかなり低くなっているのを見ても明らかでしょうね。
X染色体不活性化のメカニズム
色々なやり方があるのですね。ただ発現量を同じにしなきゃいけないというのは同じなんですね。
で,どうやって X染色体を不活性化させるのですか?
まず,必要な知識の確認をしましょう。体細胞(生殖細胞以外の細胞)の核からクローンが作成できることでわかるように,私達の体の細胞は,基本的に全て同じ遺伝子のセットを持っています。にもかかわらず,心臓になったり,脳になったり,肝臓になったりします。これを分化といいますね。それはどのように行われますか? 説明してみてください。
はい。分化の際にはエピジェネティックな変化をします。エピジェネティックな変化とは,具体的にはDNAのメチル化やヒストンのアセチル化などの化学修飾を行うことです。それにより例えばDNAのメチル化によりその遺伝子の発現が抑制されたり,ヒストンのアセチル化によりその領域の遺伝子の発現が活性化されたりします。細胞が分化するに従って,その細胞で発現する遺伝子が異なるようになり,いろいろな細胞に分化していきます。
まあ,そんなところでいいでしょう。ヘテロクロマチンとユークロマチンという言葉は知ってるかな? 染色体が凝縮されて遺伝子が不活性化されている部分をヘテロクロマチンと呼びます。色が濃く,核膜の裏にへばりついています。一方ユークロマチンは,染色体が弛緩していて薄い色をしています。核の中の方に広がっていて,遺伝子が発現している領域となっています。分化の間に細胞によってどの領域がユークロマチンになるかが違っているわけですね。で,それらを全て白紙化することによって細胞の初期化ができます。これが哺乳類の細胞では難しかったわけです。
iPS細胞では4つの遺伝子(山中因子)を強制的に発現させることで初期化に成功したわけですね。
今はさらに改良されてるけどね。まあ,それについてはいずれまたね。
X染色体不活性化の話に戻すと,1947年にカナダの神経生物学者マレー・バー( Murray Barr )が,メス特異的に核内に濃く染まる構造物が細胞あたり1個存在していることを発見しました。これはバー小体と名付けられ,性別の判定に用いられるようになりました。1959年,大野乾(おおのすすむ)は,哺乳類の雌の2つのX染色体が、1つは常染色体のように見え、他方は凝集してヘテロクロマチン状に見えること,そしてそれがバー小体であることを見出しました。
大野乾?
一度見たら忘れられないひげをしているわよね。有名な学者よ。この X染色体の不活性化の話もそうだし,あとは木村資生や太田朋子による中立進化説では,分子進化に関する5原則のうち2つに大野の遺伝子重複説の考えが取り入れられています。彼の唱えた,脊椎動物の祖先種は、魚類あるいは両生類の段階で少なくとも1回、4倍体進化を経たという仮説も,今実証されつつあります。
たしかにすごいひげですね。
1961年,イギリスののメアリー・ライアン( Mary Lyon )は,大野の研究を受け,胚発生の初期に2本のX染色体の片方が無作為にバー小体化(不活性化)され、その後その胚はX染色体に関してモザイク状のまま発育する,という仮説をたてたわけ。そしてその仮説は「三毛猫」を使った実験によって正しいことが証明されたのです。では,次はこの三毛猫についてお話しましょう。
そうそう,発端はスーパービジョン(4色型色覚)がなぜ成立するかという話だったわね。この X染色体の不活化が起こることによって,赤色錐体細胞と橙色錐体細胞が独立に存在するメカニズムは理解できたわね?
はい。よく理解できました。
三毛猫(calico)はどうしてできるのか へと続きます