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mRNAワクチン1〜キャップ構造の発見(古市泰宏さんを偲んで)〜

キャップ構造とは

みどり

古市泰宏さんが亡くなりました。本当はワクチンの話からmRNAワクチンの話につなげて,キャップ構造の発見の話にするつもりだったのだけれど,古市さんが亡くなったので,キャップ構造の話だけすることにします。

キャップ構造ってなんですか? 高校の生物では習いませんでしたが。

あきな
みどり

真核生物のmRNAの5'末端にある特殊な構造のことです。転写される時には

① RNAポリメラーゼが転写を開始する。
② 5'にキャップが付加される。
③ スプライシング(不必要な部分が取り除かれる)がおこる。
④ 3'にポリAが付加される。

という工程が入ります。この工程がすむと成熟したmatureなmRNAとして核膜孔から細胞質に移動して,翻訳が始まります。

mRNAにはそんな構造があったのですね。それって何か役割があるのですか?

あきな
みどり

RNAの中でmRNA1〜2%しかありません。5'のキャップ構造3'のポリAテイルmRNAであることの目印になります。mRNAの核外への移行や翻訳の開始にはキャップ構造を認識することが必要になります。また,エキソヌクレアーゼによる分解からmRNAを守る役目もあります。

当然,mRNAワクチンでもキャップ構造ポリAテイルが付けられています。(でないとmRNAとして機能しません)

で,どんな構造なんですか?

あきな
みどり

7mGpppGmもしくは7mGpppAmという構造になります。mRNAの5'末端はメチル化されています。pppはリン酸が3つ繋がっていることを示します。7mGは7位がメチル化されたグアニンのことです。核酸は5'から3'へと繋がっていく方向性がありますが,キャップ構造だけは5'-5'で逆向きにつながる構造をしています。

キャップ構造Zephyris - English Wikipedia

なるほど。 エキソヌクレアーゼは働かなさそうな構造をしてますね。

あきな

キャップ構造の発見

みどり

1970年,三島にある国立遺伝学研究所に新しく分子遺伝部が作られることになりました。部長に三浦謹一郎(後の東大工学部名誉教授),東大薬学部の博士課程を終えたばかりの古市泰宏(後の日本ロシュ研究所生物工学研究部門長,新潟薬科大学客員教授),北大の大学院生だった下遠野邦忠(後の京都大学名誉教授)のわずか3人で始まりました。

研究材料として用いたのはカイコ細胞質多角体病ウイルスCytoplasmic polyhedrosis virus CPV)という二本鎖RNAウイルスです。このウイルスのRNAの構造について調べていたところ,三浦はRNAの5'末端がメチル化されていることを見出します。三浦はペーパークロマトグラフィで,2′-O-methyl-pAがほんの少し標準pAより速く移動することを見逃しませんでした。

1973年秋、古市は,「CPVのin vitro 転写系へSAMを加えると、mRNAの合成が著しく促進し、生じたウイルスmRNAに約2個のメチル基が入る」という驚くべき現象を見出しました。このことは、「ウイルスのRNAポリメラーゼがメチル化酵素とリンクして転写している」ことを示唆するデータでした。

また,古市と三浦はCPV RNAの2′-O-methyl-pAにはNNMnon-nucleosidic-material)と名づけた不思議な化合物がついていることを見出していました。1974年、古市と三浦は、CPVのmRNAは、5′末端に NNM~mAp―― という変わった構造を持つという論文をNature誌に投稿します。Natureからの返事は、「NNMの構造を明らかにすれば受理する」というものでした。しかしながらその構造を決めるのに必要な [3H-2-]SAM は高価で,当時の三浦研では手が出ませんでした。

古市は三浦と懇意だったShatkinの研究室へ留学します。着任の翌日には早速 [3H-2-]SAM を注文します。購入担当の女性は「日本から来て、ベンチも、住むところも決めてないのに、来てすぐに高い試薬を注文するなんて、あんたは、なんて人なの」などと言いながらも、快く注文してくれたそうです。

古市はすぐにNNMが7mGpppであることを確かめ,mRNAの5'末端が,CPVでは 7mGpppAm,レオウイルスでは 7mGpppGm となっていることを突き止めました。古市と三浦の論文はめでたくNatureに,Furuichi・Shatkinの論文PNASに掲載されました。その二つの論文は,1975年の Most cited paper最も引用された論文)1位と2位になりました。

日本とアメリカの研究環境って,そんなに違うんですか?

あきな
みどり

全然違います。ある著名な物理学者が書いた文章の中で,「ある実験をしようと何年も申請したのに,通らなくてできなかった。ある時アメリカに行ったらその実験をやっていた。ちょっと思いついたのですぐにやってみた,と言われてがっかりした。」というような内容が書かれているのを見たこともあります。日本の学者たちはあまり恵まれない環境の中で頑張ってきたのよ。それなのに・・・・・・

三浦謹一郎先生と古市泰宏先生

三浦先生や古市先生ってどんな方だったんですか?

あきな
みどり

これが三浦謹一郎先生。

三浦謹一郎先生(1931ー2009)

優しそうなお方ですね。

あきな
みどり

こう見えて,愛車はアルファロメオだったとか。奥様が亡くなられて何年かした後,何十も年下のバレリーナ再婚されて周囲をアッと言わせたとかいう話よ。

意外とオシャレだったんですね。古市先生はどんな方ですか? 報道ではノーベル賞候補だったとか。

あきな
古市泰宏先生(1940ー2022)

みどり

これが古市先生。mRNAワクチンに貢献した人にノーベル賞が出るのではないかと期待されていて,受賞者の中に入るかもしれないと注目されていました。

古市先生は日本RNA学会のサイトに「エッセイ走馬灯の逆回し」というエッセイを連載していました。
RNAの研究の中心に居続けた古市先生が,まさに 自らの体験をもとに書いたRNA研究の草創期からの歴史です。RNA研究の歴史に興味ある方は必見です。

今年は9月にコドン暗号の解読新規修飾塩基の同定に大きな業績を残された西村暹先生もお亡くなりになりました。
日本のRNA研究者には悲しい秋となってしまいました。

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